矛盾を怖がらない。諦めつつ、でも、治し続ける

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矛盾を怖がらない。諦めつつ、でも、治し続ける

理屈の限界

元々、私は理念先行型というか、理屈っぽい人間です(より厳密には核となる部分は感覚先行であり、それを理念で覆っている感じです)。ですので、幼い頃から、世界のことや、人生のことをとにかく理論・理屈で説明しようと試みていました。

少し昔話をします。

中学時代、家庭環境の悪化も相まってノイローゼ状態に陥っていました。学校の成績はすこぶる良かったのですが、それは学力低下をした場合に家に居れなくなるという恐怖心が発露した結果でした。学力が低い妹が父に酷くなじられている所をみて、そしてそれを母が護らない所をみて、学力維持が家に居るための必須条件だと考えていたのです。また、ただでさえ諍いが絶えない家庭環境にあって、私が諍いの種をもたらすわけにはいかない。その強迫観念から、学業の維持程度はやって当然という意識で行っていました。

そして、徐々にこれがエスカレートして、何一つでも自分に欠点があるようではいけないと考えるようになっていきました。欠点があれば、そこをなじられ、家庭内のゴタゴタが増えるからです。しかし、実際には当たり前ですが欠点だらけの自分です。毎日、学校からの帰り道、「今日はアレができなかった。コレもできなかった。〇〇すべきだった」と毎日反省して、落ち込んでいました。これではノイローゼになるのも当然。

考えてみると、この時期からウツを患っていたのではないか、とも思います。ともかく、ノイローゼになった私はこの世に完璧な人が存在する可能性を考えてとても恐怖を感じていました。自分はとてもではないが完璧ではなさそうだ、でも、もし完璧な人が存在していたら、それは自分の努力不足や欠陥を意味する。このことが本当に死ぬほど怖かったのを覚えています。

そんなノイローゼ状態の私が結局出した答えというのが、完璧な人はいないことの証明でした。もし、完璧な人がいると仮定します。その時、完璧な人が私を見下すでしょうか?もし見下すなら、見下すという行動に出てしまうその人は完璧ではありません。見下さないなら、完璧な人は自己と私を同列に扱ったということになり、完璧な人に認められた私は完璧といって差し支えないはずですが、実際には完璧ではありませんので、私を完璧と同列に判じたその人は完璧ではありません。まぁ、こんな感じで理屈バカここに極まれりといった趣ではあるものの、なんとか精神の均衡を保っていたのでした。苦しいですね。

そしてこの思考の発展形として、完璧な人≒神様と定義した時に、果たして神様は矛盾する存在や考えを見下されるだろうか?否定されるだろうか?と考えました。結論、完璧たる神様は矛盾を見下されたりしない。矛盾する存在である人間をきっと肯定してくれる。こう考えて、中学生の私は随分と楽になったのでした。

あらゆることを理屈で考え、ことの理非を定めなければいけないと考えるのは、そのこと自体が傲慢ということに気付きました。そしてその生き方は何よりも本人が辛い。だから、この時から私は矛盾を受け入れるようになりました。

矛盾を矛盾のまま矛盾なく取り扱う

さて、このように無理矢理自己流の宗教のようなものを立ち上げた私ですが、大人になるにつれて矛盾というものをより多角的に捉えられるようになっていきました。端的に言うと、時間的な奥行きを勘案することができるようになりました。短期的には損となる行動や出来事でも、中長期的には大きな利益につながるものはたくさんあります。

例えば車が欲しいとして、今すぐ買えば多くのお金を失うかもしれませんが、家族旅行の思い出など一生楽しめるコンテンツが得られるかもしれない。逆に車を買うことを我慢すれば我慢は辛いですが、長期的な資産形成が捗り老後を豊かに過ごせるかもしれない。

何が言いたいかというと、何が正しくて何が間違っているかといったようなことの理非の判断は時間を変数に入れると無限大に解釈が広がるということです。もっと言えば時間だけでなく空間的な広がりもあります。車をすぐに買う判断をしたAさんと我慢したBさんがいたとして、AさんとBさんのどちらの立場に立つかでも理非は変わってきます。この時空の何処か一部を切り取らなければ私たちはことの理非を決められないということです。どの時点の、どの立場でその理は述べられているのか?コンテキスト(文脈)は無限大なのですから矛盾もたくさん生まれるし、それでいい。それでも地球は回っている。

ですので、重要なことは矛盾をあまり気にしないことです。これは結構大きなパワーになります。

諦めつつ、でも、治し続ける

さて、うつ病に関してはどのように応用が効くでしょうか。シンプルです。うつ病は治らないものと受け入れる、と同時に治療には真剣に取り組んで治し続けようとしする。矛盾しています。が、矛盾は気にしなくてよいということは前述の通りです。

また、常に全ては結果ではなくプロセスであるという認識に立てば今現在病気であるということを受け入れることと、無限大の将来に向かって治し続けることは同時に成り立つはずです。

前にも書いたように、病気を受け入れることはQoLを高めるために非常に大切です。しかし、だからといって薬を飲まなかったり、自暴自棄な行動に出てはいけませんし、無理をしてもいけません。

諦めつつ、諦めない。そんなしなやかでふてぶてしい生き方が求められます。

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