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#006. 「たとえば」は便利

おはようございます。Shinchiです。

このチャンネルでは、日比谷のIT企業でPdMとして働く私のエンジニアやマネージャとしての日々の雑感やふりかえりをお送りします。

どうぞ何かしながら、ゆるりとお聞きください。

今日は2月の13日、火曜日です。

昨日、尺八の稽古があったのですが、その中で自分の中で半音の感覚を持つことの大切さを学びました。演奏技法そのものの課題もたくさんあるのですが、楽器を持っての練習以外に、自分の中にある音感を鍛える、耳を鍛えることの重要性を先生に説かれました。これがないと、自分が演奏している音がずれていたり、クオリティが低かったりした時に、そこに気づけない問題が生じるとのことで。特に、私は一人でずっと練習しているのですが、そういう合奏経験が少ない人はかなり意識して耳を作っていかないとズレが酷くなってしまうとのこと。耳を鍛えるのはとても時間がかかるのだそうですが、意識してやっていきたいなと思いました。

さて、今日は「「たとえば」は便利」というお話をしたいと思います。

チームメンバーが議論している時に、あなたがマネージャーなら、軽々に口を挟むことの危険性は想像がつくかと思います。一つ、議論を止めてしまう。一つ、答えや方向性が自分の意見に集約されてしまう。一つ、メンバーが考えるモードから抜けてしまう。要するに、マネージャーの権限が強すぎて、口を挟むことで、議論から意見をお伺いするモードになってしまうということです。もちろん、これが必要なこともあって、例えば、あまり発言できていないメンバーに「君はどう思う?」というように水を向けたり、議論が紛糾して同一ポイントをループしているような時に道筋をつけたりと、交通整理をする、ファシリテートをするには有用であったりもします。

しかしながら、信号がでしゃばって自分の意見を朗々と述べることがないように、マネージャーも交通整理に己を律して出しゃばらないように気を付ける必要があると思っています。

さて、そんな中でも自分の意見を述べたい時があると思うのですが、そんな場合に先に述べた弊害を極小化するための技法として、「たとえば」を発言の冒頭につける技法があります。

「たとえばなんだけど、一旦、この機能をリリースしてから別ブランチでフィードバックのあった機能の開発を進めるというのはどうかな?」

「たとえば、予算の問題がなかったとしたらどんな選択肢を選ぶかな?」

これだけで、随分と強制力が削がれますし、相手を尊重しつつ、思考を促すようなやりとりにできます。マネージャー、特に日本の職場環境ではマネージャー=管理職であることが多いと思いますが、その影響力や強制力はマネージャー本人が思っているよりも強力です。

いや、私は立場の別なく、メンバーとはフラットに忌憚ない意見を出し合っている。

そう思われているマネージャーの方も多いと思うのですが、残念ながらそれは錯覚です。あなたはそう思っているかもしれませんが、メンバーはそうは思っていません。良くも悪くもどうやっても、ヒエラルキーは存在しているのです。あるものをないと言い張ってもなくなりはしません。

ですので、マネージャーは、発言するとき、特に命令を意図していないときは、思い切り自分の発言のインパクトを落とすように留意しなくてはいけません。

ちなみに、「たとえば」も便利なのですが、他にも「私の考えでは」とか、「プログラマとしての自分の意見なんだけど」といったスタイルも良いです。放っておくとマネージャーの発言は想定よりも重くとられてしまうので、効果を限定したり、あくまで個人の意見にすぎないことを強調する必要があります。

チームメンバーが和気藹々と闊達な議論を行えるようにするために、マネージャーは一歩引いて、出しゃばらないように十分注意していきましょう。

それでは、今日もいってらっしゃい。

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